俳優の成宮寛貴(なりみやひろき)さんが芸能界復帰を発表、話題になっています。
コカイン使用疑惑や同性愛告白などで世間を騒がせて、芸能界を引退したのが2016年の12月。
8年経った今、俳優業に復帰することを発表しましたね。
復帰を待ち望んでいたファンの方も多いと思います。
そんな成宮さんですが、実はとても苦労人なんですけど皆さんご存じですか?
今回は、成宮寛貴さんの苦労人な生い立ちや、親代わりに面倒を見た弟との泣けるエピソードなどについて紹介していきたいと思います。
成宮寛貴の弟の学歴は東京理科大学!プロフィール紹介
成宮寛貴さんは1982年9月14日生まれの42歳(2024年11月現在)
17歳の時に、オーディションを勝ち抜き、宮本亜門演出の舞台で俳優デビュー。
2002年の日本テレビのドラマ「ごくせん」や、2004年のTBSドラマ「オレンジデイズ」など数々のヒットドラマに出演して人気俳優の仲間入りをしました。
成宮さんは中学卒業後に高校には行かず、新宿2丁目で働いていたところを女優のかたせ梨乃さんに見初められて芸能界入りした話は有名なんですが、6歳年下の弟さんは高学歴なんです。
成宮さんの弟さんの卒業大学は、東京理科大学です。
弟さんは有名私立大学を卒業しているのに対して、なぜ成宮さんは中卒なんでしょうか?
そこには苦労人である成宮寛貴さんの生い立ちが隠されています。
本名/平宮 博重(なりみやひろしげ)
誕生日/1982年9月14日
出生地/東京都
身長/172cm
血液型/A型
成宮寛貴は苦労人!両親が離婚後、母子家庭で育つ
成宮さんは苦労人で、生い立ちが壮絶です。
幼少期に両親が離婚、母親に弟とともに引き取られ母子家庭で育ちます。
母親の仕事は出張が多かったそうで、成宮さんは弟と留守番をする時は、弟が寂しくないようにとわざとからかって遊んだりしていたそうです。
唯一の肉親であった母親も成宮さんが14歳の時に他界。
成宮さんは弟と2人で生活しながら、高校へは進学せずに、アルバイトをしながら弟の面倒を見ていたそうです。
弟さんが8歳の時ですから誰かが親代わりにならなくてはいけなかったのだと思いますが、14歳の成宮さんにその役目はとても重かったのではないでしょうか?
「どうすれば、弟を支えていけるのか?」と考えている時に運よく芸能界デビューの話をもらったそうです。
生活のため、お金のため、弟を支えるために成宮さんは芸能界デビューを決意します。
【動画】成宮寛貴の弟からの手紙が泣ける!両親代わりの兄への想い
中卒で働きながら幼い弟の親代わりとして面倒をみていた成宮さん。
自身が中卒だからこそ、社会に出て学歴の大切さを身をもって感じた成宮さんは、大事な弟には大学に行って欲しいと考えます。
弟の小学校・中学校・高校の卒業を見守り、あえて一浪させて「東京理科大学」という一流大学に通わせました。
いくら成宮さんが芸能界で活躍して収入アップしていたとはいえ、一浪すればそれだけ学費がかさむわけです。
自分のことは後回しに弟さんの将来を考えて、より多くの選択肢を与えてあげたいと思う気持ちは兄を超えて親心ですよね。
成宮さんが「A−Studio」という番組に出演した際に、弟が兄に充てて書いた手紙が泣けます。
成宮寛貴は苦労人。母子家庭で育ってその母親も14の時に亡くなった。中卒で必死に稼いで弟を大学まで行かせたエピはぐう感動する。しかも兄貴は俳優で弟は結構な大学というのだから益々凄い🤔 pic.twitter.com/lOZGQzupMd
— 新星 (@korekaratuihai) November 4, 2024
「兄は私に父のように、母のように、厳しく優しく接してくれました」
「自分の青春にかえてまで弟の私を育ててくれたことに感謝してもしきれません」
など手紙の中で兄に感謝の気持ちを述べられていたのを見ると、兄の気持ちはちゃんと弟に伝わっていたんだな、良かったなと私までウルウルしてしまいます。
【まとめ】成宮寛貴の苦労人な生い立ち!両親代わりの兄へ弟が送った手紙が泣ける
今回は8年振りに俳優業への復帰を発表した成宮寛貴さんの苦労人は生い立ちについて紹介しました。
・成宮寛貴には6歳年下の弟がいる
・幼少期に両親が離婚、母親に引き取られ母子家庭で育つ
・成宮寛貴が14歳の時に母親が他界
・高校進学を諦めて、中卒で働きながら弟と2人で暮らす
・芸能界に入ったのは、弟を支えるため
・弟は東京理科大学卒業
・弟の兄への想いを綴った手紙が泣ける
私が14歳の頃なんて、自分のことしか考えてなかったですし、遊ぶことばかり考えていました。
それが普通の14歳のはずなんですが、色んな決断をして、自分の青春は二の次に兄弟の生活を守りきった成宮さんには脱帽です。
これからは自分のために俳優業を頑張っていって欲しいです、応援していきましょう。
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